哲学〈フィロソフィー〉はギリシャ語の〈フィロソフィアphilosophia〉に由来し、〈知恵 (ソフィアsophia)を愛する (フィレインphilein)〉という意味の言葉です。

明治初年に 西周(にしあまね)氏により 英語の〈フィロソフィーphilosophy〉の訳語として 「哲学」という言葉が作られました。

いま、この哲学が 世界的に 大きなブーム

哲学は、心理学では応えられない 問いへの考察の宝庫ですものね。

  • なぜ、生きるのか
  • 何のために 働くのか
  • なぜ ひとは(動物も含む)愛するのか
  • 死とは 何か

という根源的な問いから始まって

  • 物資とは何か
  • 時間は なぜ 一方向にだけ進むのか
  • 過去や未来は実在するのか

という物理学の領域に及ぶもの…

  • なぜ、人は そう考えるのか 
  • 発想はどこから来るのか
  • 善と悪とは

などの認知価値観 に関して 深く思索してきた先達の考察です。

多彩な考察や仮説は 人生この世界を知る上で 役立つ視点を示してくれますね。

こうした問いに向きあわぜるを得なくなった 現代の人類ですが、各種セラピー神秘思想新しいスピリチュアリストの教え、古典的宗教へと 多くの人が惹きつけられています。

ただし、表層の心理テクニック(手技・ハウツー)は 飽和状態!

いったい どこに行けば 正解が あるのか と、彷徨(さまよ)い続ける人も いるでしょう。

心理学も、ひと頃(数年前に) ブームになりましたしけれど、 蔓延した ”手ごろな心理学”の次なるステップとして いま “哲学” が 熱いというわけです。

もともと心理学の方が哲学の一部だったのですから、哲学的テーマは 心理学をも含め、 幅広く、 神とは人生とは命とは運命とは…など 、果てしなく 宇宙 規模 です!

哲学必修 のフランス教育

フランスリセ(lycée : 高校)では 哲学が 理系文系を問わず必修科目

大学入学のための試験 バカロレア(Baccalauréat)の初日テストは、伝統的に 哲学科目という、教育花形です。

日本では 歴史・倫理 で哲学者とその著書、思想の特徴を覚えますが、それらは「哲学に関する情報」にすぎません。

一方 フランス哲学授業は、一人ひとりが「哲学すること」が目的で、テーマはこんなふう…

  • 「時間から逃れることはできる?」
  • 「真実を放棄することは可能?」
  • 「動物はいかなる意識をもっている?」
  • 「欲望と自由意志の違いはなに?

哲学の論文試験はある程度、知的に成熟していなければ、それなりの内容を書くことはできなさそう…。

ところが この哲学の授業、 学生には好評なのです。

哲学の授業は役に立つのか 尋ねると 「わかりきっていると思っていた『概念』をよく考えてみると、そんなに明らかじゃないことがわかって 考えさせられる」から「役に立つ」し、「哲学の中に出てくる概念は物理とも関係がある」etc…

小さな哲学者たち

そんなフランスでは、世界初の試みとして 幼稚園で哲学の授業を取り入れた例もあるほど。

幼稚園で、園児に先生が尋ねます。

「自由って、どういうこと?」

一人が「自由って、一人でいられること、呼吸をして、優しくなれることだと思う」と言えば、他の子は「自由って、監獄から出ること」…次々に 驚きの言葉が繰り出されます。

先生「 恋をしたら、どうやって人を愛するの?」

  園児「おなかの中がくすぐったくなるんだよ」

先生「死ぬのは恐いこと?」

  園児「人が死ぬのは、楽しくないな」

先生「なぜ、楽しくないの?」 

園児「一人になったら迷子になっちゃうよ」

先生「魂ってなんだろう?」 

園児「目に見えなくて、青いものかな」

この授業のあと、自宅の親たちも それぞれにどう答えたのか、知りたいところ。

自分なりの回答も、持っていたいですよね、大人なら。

こうした「こどものための哲学」という研究は 1960年代にコロンビア大学マシュー・リップマン教授によってスタートしました。

考える力を高め、認知力学習力生きる知恵へとつなげていくことが狙いだとか。そして、日本でも大学研究プロジェクトに関連した、【こどものための哲学】 に注目が集まっています。

精神的に進歩した、本当の意味での成熟した社会というのは、このような ”哲学する”市民によって成立するのだろうと 思えてきます。

なにも”哲学者”になる必要は ありませんし、 誰でも もし 悩んだ時に 色々な考察を示してくれる が近くにいてくれたら なんて素敵でしょう!

私自身もレッスンの随所に 哲学を盛り込んでいるのは、誰もがフィロソフィ(=愛と智恵)を備えている社会になったらいいな、という想いがあるから。

哲学する時間が 私たちを ”おとな” にしてくれるように思うんです。

それが読書だったり、瞑想でもいい、あるいは映画でもね。

セラピスト という特別な職種でなく、お母様、教員、隣人の誰もが、感情や脳の働きを知っていて、人生の問いに向き合ってきたおとなの社会、それを提供できる社会は、きっと もっと生きやすく調和的で、優しい。そして 社会としての選択も、絶対に(今より)賢いはず…。

本当に深刻で、特殊な心理療法以外は セラピストが要らなくなる社会。

 精神の進化を遂げた社会の到来を 願っています。

璃子クレア Riko Claire

アウェアネス・インスティテュート

Awareness Institute


ヒプノサイキック

レッスン / セッション


米国催眠士協会・米国催眠療法士協会

認定トレーナー