脚本家として広く知られる内館牧子さん。

私自身、テレビを持たないようになって15年ほど 経ちますが、そんな私でもお名前は知っているほど、ご活躍は華々しく、まさに”一世を風靡した”方でしょう。

その内館牧子さんの自伝も交えた書籍「夢を叶える夢を見た」を、私が手にしたのは つい先日。

ちょうど先ごろ、私は 横浜(神奈川)の自宅を越したばかり。

新居近くの図書館を覗いてみたら、宇宙サイキック関連シャーリー・マクレーン(ハリウッド女優)の体験シリーズやら、何冊もの借りたい本を見つけました。

「夢を叶える夢を見た」は、そのうちの一冊。

会社を飛び出したくても、飛び出せない… 。

理想や夢はあるけれど、自分は凡庸だし、特技も才能もない。

だから できない…。変われない…。

でも 時間だけが過ぎていく毎日。 

人生への焦り。

周りのOL仲間も同じだから、愚痴れる互いの存在が慰めになっている。

お稽古に発奮してみるけれど、そんなことでは解消されない深い焦り

このまま、人生の時間を”切り売り”していて いいのか?

いいや、良くない!後悔しそう。

事務や営業の補佐役には 大きな怖さ苦しさもない代わりに、大きな喜び達成感もない。

やり場のない精神エネルギー社内サークルへの参加で紛らわし、自身を誤魔化していることに気づいている。

そうはいっても、時を忘れて本気になれることへの、確固たる自信もない。

そんな思いを抱いているすべての人に向けたノンフィクションです。

何を隠そう..上述した焦りの体験は、内館さん自身のご体験だそう。

内館さんは大企業に勤めるOLであり、脚本家への夢を心奥に秘めながら13年ものあいだ(辞めたい。辞めたい。大企業を離れるのも怖い。)という揺れへの洞察を綴っています。

タイトルに惹かれ、何気なくこの本を手に取った時、かつての私自身も内館さんと同じだったなと、時の記憶の中に埋もれていたことが、ふうっと浮かび上がってきたように感じました。

私の場合は、幸か不幸か、時に危険な選択をすることがあり、意外に冒険好き。

安定した暮らしより、ちょっと変わった体験が好き

飽きっぽいのだと思っていました。

感動していたいあちこち旅していたいタイプ。

「あなたは、夢見る夢子ね」母は、私のことを、そう評します。

ですから、自身でも、きっと私は傲慢なのだと思ってもいました。

ただこうして、読後に感想をまとめてみたり、感動できる瞬間のある、ヒプノセラピーや潜在意識の知識を積み上げていくことには飽きを感じません。

スピリチュアリティの探究も、未知なるゆえに飽きようが無いのです。

これまでを振り返ると、人間関係も常に変化があり、出会いと別れの繰り返し。

仕事でも ”一期一会”的な業種ばかり。

だから、これは適性と言えるかも知れず、私らしいのでしょう。

それはそれで、常に新しいものに適応する術を鍛えられ、多少の乱気流を覚悟しなければなりません。

それは 翔ぶ人覚悟でもあります。

さて、三菱重工業にお勤めだった内館牧子さん。

お茶汲みとコピー取りの業務でも、名だたる大企業ですから待遇は恵まれていたし、第一に大企業名前の威力も知っていて、その恵まれた環境には感謝もおありでした。

と同時に、どうしようもない焦りを感じていたといいます。

定年まで女一人で働き、生きている先輩たちを見ていました。

40代になると先輩のBさんの姿と自分の未来像が重なり、50代で別の先輩・Cさんになっていく姿…そう考えていた頃、内館さんは 会社の洗い場で「辞めるなら今のうちよ。私みたいになっちゃうわ」と言ってくれた先輩の一言が、背中を押してくれたと綴っています。

私みたいになっちゃう..」と呟いた先輩の表情が忘れられないのだと。

私も、機内で先輩たちの姿を見て、思ったことを思い出しました。

10年後、20年後…役職が変わると制服スカーフブラウスの色が代わり、ちょっと役割が変わるだけだなと。

収入や立場は安泰かも知れないけれど、と。

さて内館さんは、先輩の呟きに触れたこともあって、何のアテも、ツテもないまま、とりあえず 脚本スクールに通い始めます。

安定を捨てるまでの覚悟は(当初は)なかったそう。

しかし、そこから運命が動き出したようでした。

そして40代にして本格デビューです。

笑い話のようですが、内館さんは脚本スクールに通っていることが、社内の人に知られたら”社内報の制作に役立つから”..という言い訳まで考えていたそうです。

(私ね、脚本家になりたいの…)などという本当のこころ純粋な夢を正直に、真顔では言えない年齢になっていました。

そもそも自分は何が好きで、得意で、没頭できることなのか、それも分からない。

だから、やっぱり 何もできない。

何かを始めて、それがモノになるか分からないから、手を出さない、始めない。

「叶わないから、それを夢と呼ぶのだ」と納得させていたりします。

私は、こうして思い悩む多くの人々と、何年も(レッスンやセッションで)接してきたし、昨今の急激な社会変化、システムの進化に戸惑う人びと、失職休職只中にいる方、副業転職に焦ってしまう心模様を、そばで見てきました。

私だって、通過してきた道だから。

そして、未だその道筋にいる同胞であり、事業を始めた経験があること以外、大差ないかもしれません。

皆さんに聞いてみると、今さらに焦っているわけでもなく、実は元々あった(または抑えられていた)本音、本当の気持ちが強く刺激されているのだろうと感じます。

そうした願望、夢、叶えたいこと、してみたいことを、内館さんは著作の中で「夢の不発弾」と表現しています。

夢の不発弾を抱えたまま、生涯を終えた人も多いでしょう。

昔ならば、時代が夢の実現を許さないこともあったでしょう。

でも現代なら、おそらく理由は、だけ。

自意識的に図らずとも、これまでの安定した立場家族関係を退かねばならず、夢に向かって歩み出さざるを得ない人もいます。

こうした局面では、私は皆さんにも、潜在意識の導きを信じてほしいと願っています。

もちろん、すべてが上手くいき、難なく歩めるわけでは無いでしょう。

勇気がなければ、それを試される経験をします。

柔軟でなければ、凝り固まった在り方、考えが揉みくちゃにされる事象が起こります。

適当にやり過ごしてきた人なら、真剣さを養うことが起こります。

誰もが、今までの宿題を清算していく中で、本当の夢を手にし始めます。

自分の使命は何だろう?

きっと役割があるだろうに…一体なぜ、時間をやり過ごしているんだろう?

いや、大した役割なんてものは、自分には無いかも知れない。

突出した才能もない気がする。

でも、元気なら ある。それが人前だけカラ元気だとしても、人には役立つかも知れない。

共感して、励ますことなら得意だと思う…なんてこと、一つや二つ、あるんじゃないかな。

…だとしたら、尚のこと、好き勝手に生きてみても良いじゃないか。

飛び出せないまま後悔するより、飛び出して後悔する方がマシ

つい(そうよ、ウンウン!)と 頷いてしまいたくなる定番のセリフ。

決心したい人には、とても響く言葉。

背中を押してくれる言葉です。

ただし、真実には4つあるでしょう。

翔んで、後悔しているひと

翔んで、満足しているひと

翔ばなかったことを、後悔しているひと

翔ばなかったことに、満足できているひと

いうまでもなく、翔んで後悔した人は、社会の表面に出てきません。

私たちが目にする成功者は、翔んで満足できている人だけ。

私も、自分が後悔するか、満足できるか、まだわかりません。

ただ、今のところは 後悔しないだろうと感じています。

成功というものには、大きさ、サイズがあると思うんですね。

人から「凄い!」と言われるまでの 成功を望んでいると、やたらにゴールが遠くて、そもそも一歩が出ないかも知れません。(妙にヤル気に満ちている瞬間は別としても)

私は、少しサイズダウンして、小さめの成功から始める方がならそれがベストだと思うんです。

小さな成功で構わない。

小さな成功とは、その過程が、後悔していない時間積み重ねだから。

行動し始めると、後悔している暇がないでしょう?

愚痴る暇もないんです。

悩みに悩んで、同じ思考堂々巡りさせているエネルギーを、始める進むエネルギーに使う方が合理的です。

ダメかどうかは、その後。

行動しなければ判らないことが沢山あるのに、私たちは頭でっかちで、それが賢いと思っているのです。

それが目に見える成果になろうがなるまいが、本当に二の次

勇気覚悟のなさ、恐怖に駆られて”夢の不発弾”を抱えたまま、明日、来週、来年にこの世をさるとしたら、来世も同じ試練不発弾を引き継ぐだけかな、と思うから。

精神がトランス状態でにも入っていなければ、こんな勇気(無鉄砲?無計画?)は、出てこないと内館さんも述べている通り、自己トランスで内なる信念を支える術基本なのだと、私も感じています。

璃子クレア Riko Claire

アウェアネス・インスティテュート

Awareness Institute


ヒプノサイキック

レッスン / セッション


米国催眠士協会・米国催眠療法士協会

認定トレーナー